ちゃんぴゅー!シナヒコです。
2012年12月から勤務を開始しまして、先日を持ちまして丸っと7年勤務しました。
(76回クルーズが7年前とか光陰矢の如しすぎる・・・!)
先日まで乗船していた102回クルーズの総括をメインに、年の瀬なので振り返ります。
(ほとんど独り言に近いですが、年の瀬の読み物としてぼーっと読むには程よい内容・ボリュームです)
102回乗船までの流れ
2019年6月下旬。クルーズディレクター(ピースボート側の総責任者)のまりんに突如呼ばれる。
と、この間5分くらい。
この後担当が決まりました。
担当決定!地球大学!!
と、こちらも5分くらい。こうして、スタッフとして地球3周目は地球大学の担当として乗船することが決定。
地球大学についてはコチラ
洋上での地大
31名の若者と、103日かけていろんなことを学んだ。
18歳から33歳までの、地球一周をただの遊びではなくより深い学びあるものにしたいという人たちのエネルギーはすごくて、
地大を受け持つ自分自身にも相当の気づきがあった。
地大を担当するのは今回が初めてで、担当決まった瞬間から「シナヒコなら大丈夫」という謎の期待とプレッシャーを受けつつ、各ピーセンからはものすごい量の推薦がくるわくるわ。
甲子園終わった後、U-18の監督ってこんな感じなのかな。
ドリームチームまとめ上げる高揚感とプレッシャー。
ゼミ自体はクルーズ通して50回やった。
水案を招いたり、地大生から提案のあった内容でゼミを行ったり、
戦争の語り部をしてくれるという方に話を依頼したり、スタッフに話しに来てもらったり。
過去クルーズの地大がどういう風だったかはわからないけど、
102回で地大を担当するにあたって「基本的なゼミの場は作るけど参加・不参加は自身に任せる」
っていうのは一貫できたかな(自己評価)
・ゼミは基本毎日行う(寄港地明けとかは休み。あと、大きなイベントの日も休み。)
・各種実行委員や企画やる人は積極的に関わってもらう(むしろ最前列で応援する)
・道を示すより、本人の選択の背中を押す
と、今になって書いてみて、実際に現場でできてたかは自己評価よりも31人の地大生の”これから”が見せてくれるかな?
中ラ米を経て、「貧困」を目の当たりにしてから世界の経済の中心NYCへ。
ここからさらに北上してカナダ・アイスランドからヨーロッパの寄港地ラッシュへ突入。
文字に起こすと簡単だけど、経済格差や貧困、教育の制度や質のグラデーションがすごく分かりやすくて、
むしろ分かりやすく見えすぎて初めての地球一周のみんなにはヘビーだったかも。
体感したことをしっかり経験値として蓄えたいし、でも消化しきれないまま船は進むし、
自分に何ができるのか考え出したら何をしていいのかわからないってなるし、
というそのあたりを全員整えてあげきれなかったのは悔しいところ。
んでも、「地大」という性質上東回りはすごくカリキュラムを組みやすいと思う。
これは今後への提案(メモ)
クルーズ終盤も終盤で、「地大の成功」をすごく考えた。(報告会の準備しているらへん)
仮に、洋上で「取ってよかった」って地大生から言われたらそれは成功なんだと思う。
実際にそう言われたから、洋上では成功だったんだろう。
でも、本当に学びを活かすのは陸に降りてそれぞれの場所で再び歩み始めてからと考えると、102回の地大はまだまだ完結しないなぁと感じるのです。
ただ、ここから先は終わりが見えない物語なので、ものすごく長い最終章を読み始めた感覚。
とはいえ自身も止まってはいられないので、変わらず高田馬場で働きながら31人のこれからのアクションを見守っていくというのが礼儀かな。
元の職場に戻るとか、休学明けて復帰するとか、青年海外協力隊にいくとか、新たな道でチャレンジするとか、31人が31人の道を歩むってんだから、
いつまでも応援してますよ。
地大を取ってくれて、僕を支えてくれてありがとう。
約3年前からベジタリアン食を心がけてます。基本的に肉は食べない生活。
当時は自分の中だけで葛藤した結果だけど、今では周りに発信できるかなぁ、と。
環境・貧困・ジェンダー・紛争・経済・歴史認識・ビジネスと、あらゆる人たちに話を聞いたけど、肉食と環境についてものすごく腑に落ちた。
参考までに、ハンバーガー用のパテ1枚(110g相当)を作るのに必要なもの。
・約200リットルの水
・約7㎡の土地
・約3kgの穀物や草
・94万キロカロリー/時のエネルギー
を消費します。
牛が食べる分の穀物を飢餓で苦しんでいる地域に持っていけたらね。
私腹ばかり肥やして、壁一枚向こうは見て見ぬ振り。生きるとは。
ちなみに、野菜ばかりになったら性格がすごく穏やかになった気がします。
裏担当:ラジオ体操
7月も半ばに入り、クルーズの準備に勤しんでいたころ。
クルーズ中の船内企画を統括するのりぴーからこんな打診が・・・
かくして、シナヒコの毎朝の日課「ラジオ体操の音源をポチッとやる」が決まったのである。
余談:
シナヒコがラジオ体操のメイン担当になったことにより、ラジオ体操に並並ならぬ意志を燃やしていたみさきベーがサポート役を買って出てくれたのだが、
結果として4日目に缶ジュースと辞表を持ってサポート役から身を引いたのはのちの笑い話である。
裏担当2:小倉祇園太鼓
もう一つ、船に乗ったら毎回やるのが小倉祇園太鼓。
今思い返すと、76回には直さん、千ちゃん、キャプ、シゲさん、ブイちゃん、まっすんと錚々たるメンバー乗ってたんだなぁ 笑
その時にほとんど毎日バチを振り回したおかげで今では人に教えるくらいには叩けてます。
こちらも、横浜出航、スター誕生、日本文化紹介、メキシコ・ベネズエラでのフェスティバル、夏祭りと、事あるたんびに叩いた。
特にメキシコは感慨深くて、7年前のあの時はクルーズ後半だったからもうしっちゃかめっちゃか遊びながら踊りながら叩いたけど、
今回はほとんどド頭の寄港地だったからギリギリ間にあわせることができたレベル。
んでも、あの法被着てカジキの前で叩けたのは感慨深かったな。
↓7年前
↓今回
ベネズエラのステージも、当時より揺れに揺れて違う意味ですげー笑った。
「崩れんじゃないの?」ってあの時舞台に上がったみんな思ったろうなぁ。
夏祭りは急に電源落ちて、いざバンドと一緒に叩く!ってタイミングだったので急遽つなぎで15分くらい叩きました。
ひたすらソウカンと暴れ打ち。
指皮を代償にたくさんの人から賞賛の声をいただいたのは良き思い出。
船内生活〜東回りとは〜
7年間のPB生活の中で初めて経験する東回り。
自分がスタッフになってから84,102と、いかに東回りクルーズが少ないか。
まさかそれに乗るなんて 笑
西に進むのとは違って、24時になると時計の針を1時間進めます。
(厳密には24時を待たなくても良いんだけど、ここではわかりやすくするためにあえて。)
例えば、日本-ホノルル間は日本を基準に考えると19時間の時差があるわけですよ。
日本が12月29日の12時になった時、ホノルルはまだ28日の夕方5時っていう、
地球儀見ながら考えれば当たり前なんだけど、体験してみるとところがどっこい。
日本を出発して太平洋を渡ってホノルルに向かうと、まず出てくるのが日付変更線。
コレを超えるタイミングで、「世界で一番早い朝日」から「世界で一番遅い朝日」に変わる。
つまり今日がもう1回やってくるというなんとも不思議な現象。
さらに、5時間分調整しなければいけないので1日1時間ずつ時計の針を進める作業を5夜しなくちゃいけないというびっくり仰天。
コレばっかりは口で説明するよりも実際に体験してもらうのがわかりやすいかな。
もし、時間があれば船に乗ってね(ステマ)
結果的にあまりしんどくなかった、ってのが今回の感想。まだまだいけるぜ。俺。
ちょっとずつ時間調整していって日本時間に近づいていって、
最後は厦門の翌日に時差調整した時はうっすら感動したなー
PAX時代を含めて4周したけど、結果的に地球は丸い</span>っす。やっぱり。
寄港地の思い出〜半分近く自身初寄港〜
ホノルル(初)→ヒロ(初)→マンサニージョ→プエルトケツァル→パナマ→ラグアイラ→サントドミンゴ(初)→NYC(初)→モントリオール(初)→ケベック(初)→レイキャビク→グラスゴー(初)→リスボン→バルセロナ→マルセイユ→モナコ(初)→チビタベッキア(初)→ピレウス→ポートサイド→プーケット→ペナン島(初)→シンガポール→厦門
と、寄港地を線でつなぐとこんな感じなんですが、23寄港地中10寄港地が自身初でした。
よく見るとなかなかマニアックな港はすでに訪れたことがあって、メジャーな港ほど行ってないってのが俺っぽいな 笑
よくある質問で、どこが一番よかった?っていうアレ。
どれも甲乙つけ難いので、それぞれの港を一言ずつ振り返り。
ホノルル(初)→地大のみんなとツアー。その夜はワイキキビーチでさんちゃんとトレバーとミッドナイトチル
ヒロ(初)→火山島。全部のツアーがなくなったため、一番近いマーケットらへんをぷらぷら。
マンサニージョ→7年ぶり。太鼓叩いた。日中はチカシと街ブラ。
プエルトケツァル→トレッキングツアー。翌日はサルバドール・オイスター・峰じぃと近所へ。すげースコールに遭遇。
パナマ→こっちはハイキング。マイナスイオンたっぷりのジャングル。
ラグアイラ→ここも7年ぶり。オイスター・ヤンマーとぶらり。夜はフェスティバルで太鼓叩いたのと、ツアーで訪れた先で未来の就職斡旋してもらった。
サントドミンゴ(初)→4時間じゃ足りない。ストリートで販売してる油絵は必見。タイミング悪く購入できなかったのが悔やまれる。
NYC(初)→エンパイアステートビルからの夜景は流石の一言。翌日は朝から寄港地かぶれパート1。今クルーズ初のクライミングジム突撃。
モントリオール(初)→あいにくの雨。でも、露に濡れた落ち葉を踏みしめて歩くのはなかなか乙。
ケベック(初)→ものすごく雰囲気が良い。中世ヨーロッパっぽい雰囲気は晴れよりも曇り空でむしろよかった。
レイキャビク→この前後のオーロラ対策すごい。ブルーラグーンは至福。ペルトラン博物館はマスト。このクルーズ2箇所目のクライミングジム。
グラスゴー(初)→3箇所目のクライミングジムへ。元々教会だったところを改装してジムにしただけあって雰囲気抜群。
リスボン→すげー雨。コルク製品を大量に購入。
バルセロナ→ランブラス通りをひたすら散策。風情を感じるTシャツと、センス◎なトートバッグを購入。
マルセイユ→石鹸をたくさん買いました。ツアーでも色々ありました 笑
モナコ(初)→寄港地かぶれ2。街自体が歩きやすかった。次来る可能性の低さを考えてここでも大量にお土産購入。
チビタベッキア(初)→初日は街歩き(かぶれながら)。なかなか風情があって良い街中。2日目はバチカン市国へ。最後の審判は圧巻。ミケランジェロすげーわ。
ピレウス→ヨーロッパが抱える難民問題。中でも玄関口となって(しまって)いるピレウスでは“世界の医療団”のギリシャ支部へ。学びある1日。
ポートサイド→7年ぶりのピラミッド。ぶっちゃけ1回見たからあまり感動せず 笑
プーケット→長いインド洋を経て久しぶりの陸地。カシューナッツ食べ放題ツアー 笑
ペナン島(初)→クルーズ4箇所目のクライミングジム。すんごい狭い。両替しまくったリンギットを最後はひたすら使いまくる。
シンガポール→個人旅行を含めると5回目のシンガポール。次は何も見ずともどこへでもいけそう。
厦門→訳あって上陸せず。
総じてよかった。間違いなく。
中でもスエズ運河かな。大陸と大陸に挟まれて、エメラルドグリーンの海に雲の影が落ちている中を航海するシーンはすごく気持ちが良い。
やっぱ運河は船旅の醍醐味。
総括
自分の可能性が広がった103日間でした。
クルーズの内容然り、担当をしていた地大然り、それ以外での自分の立ち回り然り、一緒に乗っていた専従・契約・GET・CC・LA・JGと船を出した仲間然り。
“シナヒコ”という存在が、船の上でどういう働きができるのかをたくさんの人に知ってもらえたかな。
割と器用になんでもこなします。そこそこの応用力と適応力あるので自分がやりたかった”便利屋/リベロ”的な立ち回りはできたと思う。
自己肯定感がそもそも高いので、クルーズの自己評価は96点!
伸び代を考えて100点はつけず。
たくさんの人に支えられた102回クルーズでした。
この間スタッフがインスタであげまくっているのを見ている人も多いだろうけど、この写真を。
(魚眼でとったのも良いけどゆるちゃんも写ってるこっち!)
ルエダで遊べたのはよかった。チーム写真撮ってないけど、
ゆるちゃん、オイスター、ちかちゃん、武蔵、ぴーち、チカシ、はなちゃん、ヤンくん、あいりーぬ、ヒロ、ようこありがとう。
練習時間ごくわずかな中お付き合いいただきまして感謝です。
クルーズ中に購入したお土産はこちらで販売してます。
お土産選びに定評のあるシナヒコチョイスの数々。
ごゆっくりご覧くださいませ〜
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来たる2020年
スタッフ8年目かぁ。ゼニス号も就航し、いよいよ2隻体制が本格的に始動します。
あ、104回乗ります。